福島県吹奏楽連盟の沿革
福島県の吹奏楽は、昭和16年頃、日東紡績福島工場音楽隊、常磐炭鉱吹奏楽団等の企業体のバンドによって活動を開始する。
特に陸軍戸山学校の助教出身の指揮者に率いられた日東紡績福島工場音楽隊は、昭和17,8年と全国大会で上位の成績をおさめ、ラジオで全国放送されるなど、当時の福島県の音楽愛好者に大きな刺激を与える。
昭和17年頃には、出生兵士を送るための吹奏楽団が各地に誕生し、小編成ながら「立派な兵隊」や「君が代行進曲」などのテーマや軍歌を盛んに演奏した。
終戦後、昭和20年代の後半より、県北、浜通り(いわき)等の地区の中学校、高等学校に小規模な吹奏楽団が誕生し、それぞれ活動を始めた。
昭和27年には、福島市信夫ケ丘陸上競技場で開催された宮城、山形、福島合同による第7回国民体育大会の開会式には、日東紡績福島工場と常磐炭鉱による合同の吹奏楽団が式典音楽を演奏した。
昭和32年には、福島市政50周年記念演奏会(4月27日、福島競馬場特設舞台)に、福島市内小中学校連合による約70名の吹奏楽団が演奏した。
昭和34、5年頃には、県北、県南、浜通りにそれぞれ地区吹奏楽連盟が結成され、昭和36年には第1回県北地区吹奏楽祭を開催するなど、それぞれ独自の活動を開始する。
昭和35年には、東北吹奏楽コンクールに「福島県からも代表を」という福島県教育委員会からの要請で福島市立福島第一中学校が、第3回東北吹奏楽コンクール(10/23、仙台市公会堂)に参加した
郡山市に東北一の市民会館ホールが昭和33年に建設されたのを機に、「是非吹奏楽の東北大会をこの会場で開催したい」と、当時、東北吹奏楽連盟理事長であった海鉾義美氏から福島県合唱連盟理事長の三浦通庸氏に福島県吹奏楽連盟の設立と、昭和39年度に福島県で東北吹奏楽コンクールの開催について依頼された。
また、県内地区の連盟を一本化しようとの動きが高まり、朝日新聞福島支局のお力添えもあって三浦通庸氏は、昭和37年6月2日、郡山市の麓山公園内にある麓山荘に、県北、県南、会津、浜通りの代表を集め、設立準備会を開催、福島県吹奏楽連盟の発足を満場一致で決め、理事長に三浦通庸氏を推し、顧問に福島県音楽界のリーダーを推戴し、副理事長及び常任理事には、各支部の音楽教育のリーダーを推すことに決め散会する。その結果、福島県吹奏楽連盟は、下記のように役員を推して発足する。
- 顧問
- 穴沢 養一 (会津音楽協会長)
佐藤 広市 (福島県音楽教育研究会長)
菱沼 儀 (福島県中学校長会副会長) - 理事長
- 三浦 通庸 (郡山音楽協会長)
- 副理事長
- 鈴木 光四郎 (いわき地区音楽教育研究会長)・佐藤 政夫 (県北地区音楽教育研究副会長)
- 常任理事
- 菅野 長一郎 (県北吹奏楽連盟理事長)・大竹 美明 (県南吹奏楽連盟副理事長)・根本 八郎 (いわき吹奏楽連盟副理事長)・
大井 照彦 (相馬地区音楽教育研究会)・大越 均 (福島県立会津高等学校) - 事務局長
- 園部 好郎 (福島県立郡山工業高等学校)
昭和38年6月、郡山市民会館会議室に於いて総会を開き、9月22日に郡山市民会館で、第1回福島県吹奏楽コンクールの開催を決定し、下記のように役員を改選して、中学校15団体、高等学校10団体からなる福島県吹奏楽連盟が正式に発足する。
- 理事長
- 三浦 通庸
- 副理事長
- 菅野長一郎 (県北)・大竹美明 (県南)・
佐藤新九郎 (会津)・根本八郎 (いわき)・ 小口 久朗 (朝日新聞福島支局長) - 理事
- 板垣 忠直 (県北)・
本田 強一 (県北)・ 吾妻 和郎 (県南)・ 園部 好郎 (県南)・ 三浦多可志 (会津)・ 大槻 褜人 (いわき)・ 松橋 信一 (いわき) - 事務局長
- 園部 好郎
昭和39年6月13日、郡山市民会館で開催された総会に於いて、福島県吹奏楽連盟規約が決議され、福島県吹奏楽連盟は本格的な活動を開始する。
平成28年度現在、福島県吹奏楽連盟の加盟団体は、県北、県南、会津、いわき、相双、5支部のもと、小学校48団体、中学校126団体、高等学校79団体、大学6団体、職場2団体、一般38団体、合計299団体で構成されている。
また、福島県吹奏楽連盟の事業は、全て福島県教育委員会の承認行事としてコンクールは、福島県芸術祭主催行事、マーチングフェスティバルは福島県芸術祭参加行事、アンサンブルコンテストは福島県文化振興基金助成事業として実施している。